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2008年6月26日 (木)

小菅信子先生の講演

小菅信子先生のご講義「記憶の紡ぎなおし――平和構築観の変遷と<人間の和解>について――を聴講する。

学生気分を味わいたくて行って参りました。
やはり年配の方が圧倒的に多い。それから小菅先生の学生さんかな。若い学生が四分の一ほど。あとは学校のえらい人。
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平和が回復した後、あるいは講和が成立した後になお人々の心に残る復讐心、わだかまり、感情的対立をいかに解決するか。
悲惨な過去を忘却しないことによって平和が強化されるという考えはどれだけ実効力をもっているのか。悲惨な過去を忘却せず、かつ旧敵をゆるすことを可能にするものとはいったい何なのか。

「平和のために過去を忘れてはならない」いかにして私たちはそう考えるようになったのか?

戦争が終わって平和が戻ってきた後も、戦争という過去の忘却を否定しようとする観念は、一定の歴史を経て、一定の時代と社会を背景に生まれてきた、固有の歴史的現象である。
戦後和解とは、そうした歴史的現象のなかで浮上してきた政治的文化的課題である。

近代以前のヨーロッパでは、講和と同時に、戦争中の悪行を全て忘れ去ることが常であった。忘却こそが戦後の平和を強化するための最善の策であると考えられていた(「忘却」によるピースメイキング)。
講和条約の中には、「忘却条項」(といういい方をされていたのだと思うのだが、ぐぐっても出てこない)が盛り込まれていた。

 だが、18世紀終わりから19世紀にかけ、この忘却による和解のシステムは揺らいでいく。
 その原因は、

 世俗化(以前は正義は神に託されていた)
 国民国家の形成。
 民主化。
 マスメディアの発達による世論の形成。

 一番ひどいめに合う連中が、そうそう簡単に受けた傷を忘れられるわけがない。
 

 そして、二回の世界大戦を経て、新しい平和構築観が生まれた。
 「裁き」によるピースメイキングである。

 これは、次のような構造のもとに行われる。
 まず、戦勝国と敗戦国に分ける。
 戦勝国を「侵略をうけた被害者」「敵の残虐性の犠牲者」として「正」の側におく。
 次に、敗戦国を二つに分ける。
 敗戦国の指導者を、加害者、侵略者(=戦争犯罪人)として「邪」とする。
 それら戦争犯罪人に指導されていた者を、騙された人間として被害者とし、「再教育の対象」とする。

 この構造は、本来ドイツ向けであった。ナチスドイツは国内でユダヤ人を650万人殺している。ナチスドイツは「邪」。連合軍はそれからユダヤ人を解放した「正」ということで、非常に分かりやすい図式となっている。
 だが、これを対日にあてはめた場合、帝国主義的な植民地争いは、戦勝国も同じことをやっていたわけであり、結果持ってくる戦争犯罪が「真珠湾攻撃」だったりした。

 ニュルンベルク裁判および東京裁判は、復讐をなすための法廷ではなくて、私的復讐を抑止し、関係修復、調和、和解を目指す試みであった。
 実際に戦後、ドイツ国民に対し、私的復讐は横行し、連合軍も、収容所の死体片付けを、ドイツ人の女性に素手で行わせたというような事例もある。(すぐに病気になってしまう女性が続出したそうだ)
 ロレンスらは、「戦争犯罪裁判こそ、人々を調和へと感化していくものをもたらし、戦後のヨーロッパが再び一面血の海に化すことを回避する」と主張。加害者を裁き、正邪のバランスをとれば、人々は私的復讐に走ることなく、和解への道をあゆみはじめることができると裁判を支持した。きわめて強い対敵憎悪が培養された戦争の後、いかに人々の復讐や怨恨を抑制するか。報復の連鎖を断ち切るための試行錯誤の法廷であったと言える。
 戦争犯罪法廷の開廷の意味として次のような事があげられる。

忘却によるピースメイキングの破綻
 「過去の戦争中の悪行」を記録化
 政治の歴史化、歴史の政治化
 「過去」に根ざした政治外交問題の浮上

勝者が敗者を裁く
 戦争の正邪曲直を判定する
 「戦争には正しい戦争と邪悪な戦争がある」(これは新しい聖戦論であるといえる)
 侵略戦争は違法、自衛戦争は許容
 無差別戦争観の終焉、(侵略)戦争違法観の形成

勝者が敗者に戦争の責任を負わせる
 敗戦国の指導者に戦争の責任を負わせる
 指導者責任観の形成

国際軍事裁判は、きわめて強い対敵憎悪が培養された悲惨な戦争のあとに、報復の連鎖を断ち切ることを目的として開廷された裁判として評価しうる。
が、その反面で多数の欠点を抱え込むことになる。
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ちなみに小菅先生が留学していたケンブリッジというのは極めて反日感情の強いところだそうで、というのもケンブリッジ連隊というのは、第二次世界大戦で、シンガポールに駐屯してたんだそうな。で、日本が侵略した際に残らず捕虜になり、泰緬鉄道を作るんで酷使されて、四分の一が死んでしまった。そんなわけで、当時、日本人がお客さんでやってくると、英語が通じないふりをする、と主張してた人とかいたんだって。
でも、実は泰緬鉄道作るとき、参加していた日本人も10パーセント死んでいた。おれ、日本人のこういうところに一番ぞっとする。おおいやだ。

今日は小菅先生の研究内容を紹介する、一時間に満たない講演であり、しっかり論旨を把握しきれない上に食い足りないという感じであった。学生さんが来ていたからか、研究の進め方を一歩一歩説明しながらしておられた(さすが学者!)。内容もとても興味深かったです。

最後の方に、「日英和解」「日韓和解」などと並置して、「日日和解」というのがあってうむと唸ってしまった。実際ね、僕が太平洋戦争を経験していたとして、今のメンタリティをその時代に持っていたとしたら、敵国の実際に鉄砲を打ちあったことのない外国の兵隊さんよりも、恨む相手はもっと別にいっぱいいたと思うですよ。

今は戦争は国民国家同士がやるもんなので、まあ、和解の単位がそういうことになるのは仕方ないことではあるけれどね。

今日は晴れの場であるらしく、質問者は一人だけに限られた。お前の議論はバーチャルなものだ。戦争が終わった後というのは敵も味方もない、もっとぐちゃぐちゃのものだ、と主張された年配の方。

バーチャル、という言葉の使い方はちょっと好かんけれど、いう事は分かる。
でも、そういうぐちゃぐちゃのところを大ナタふるってばっさりやってから成立する、「粗雑な」議論も、必要なことはある。

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追記。そうそう。「これから」でありますが、えっと、なんだったかな。「互いを不完全なものとして認め合うことが、少なくとも個人のレベルでは功を奏することが多いのですが」とひかえめな表現でおっしゃっておいででした。

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コメント

>戦争という過去の忘却を否定しようとする観念は、一定の歴史を経て、一定の時代と社会を背景に生まれてきた、固有の歴史的現象である。
というのは非常に面白いと思った。へぇと。

でもさ、いつだったか、中東でひどい目にあった女性と南米でひどい目にあった女性が時代も文化も違うのに同じようなことを言っていたのを読んだの。

「許すけれど、わすれない」って。

なので単に、「裁き」によるピースメイキングだけが原因だとは思えない。

続報まってます。

投稿 Ooh | 2008年6月27日 (金) 00時27分

そうですね。広告を貼った二冊は手元にあるので、中公新書の方を読んだらまたレビューを書きますです。。。

投稿 ぷりぷりざえもん | 2008年6月27日 (金) 16時34分

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